山に暮らせば
2012.07.02 6月24日付け中国新聞朝刊の読書面(8面)に「山里からの伝言-中国山地2010~2012」(渓水社・2625円)が紹介されている。著者は元中国新聞記者の島津邦弘さん。
55歳で新聞社を辞め、大学教授に転身。13年間教えた大学も辞めて、30年前に新聞に連載した企画「新中国山地」で取材したところもう一度訪ねてみたいと聞かされた。「中国山地 再訪の旅」である。
2年間歩き回り書き上げられ出版されたのが「山里からの伝言」である。表紙に小生の撮った写真を使ってもらった。
島津さんは「新中国山地」の後も「西中国山地 動物たちは今」のキャップでもあった。この2つの企画を担当したことが「定年になったら芸北で暮らそう」と思ったきっかけである。芸北で暮らし始めて10年。単身赴任である。何か残さなければならないと思い始めている。
昨日、JA千代田のホールで島津さんの「山里からの伝言」~中国山地を取材して という講演会があった。大学で13年間教べんを執った人だから話はとても上手い。聴衆も熱心に聞き、時間が短か過ぎたと感想を漏らす人が多かった。
講演会でなぜ早めに新聞社を辞め、さらに大学も辞したのか疑問が解けた。やはりこの人は書きたかったのだ。人が好きなのだ。歩き回り、何度も会い次第に核心に迫っていく執念、それが「記者」なのだと何度も思い知らされてきたのに、改めて講演という形で示された。
本の中の「はじめに」の一部を引用する。
この報告は、中国山地に生きる人たちから託された伝言である。
また、米と野菜をつくる農家でありながら、記者から大学教員に転
じ二足のわらじを履き続けた高齢者のつぶやきである。生来のわ
がままゆえに同僚記者や大学の諸兄に多大な迷惑をかけた詫び
状であり、さらに、半ばあきらめ顔で半世紀近く連れ添ってくれた
妻・佳江へのお礼状である。ごめんなさい、そしてありがとう。
本の内容は決して甘くない。中国山地の現状を厳しい目で見つめ説得力もある。山地の窮状を講演会では柔らかく話した。 講演会終了後、控え室に来られた叔母さんが「よう勉強したのう」と言われたとき照れ笑いした島津さん。こんな言葉を投げかけられるのはやはり奥さんと叔母さんくらい。剛毅な人の中に隠れ絵のように見える優しさ。いいなあ。
昨夕、部屋の窓が異様に紅くなった。西の空を見ると10日前に見た夕焼けよりも激しく空が燃えていた。 カメラを手にしてはいるが、画面の中に入れる風車のようなランドマーク的なものがない。電線が入らないようにするのが精いっぱい。我が家を訪ねて来る人が携帯で道に迷ったと言うので「何か目印になるようなものが見えますか? と尋ねたら「山が見えます」と言って笑わせたことがある。山地では見渡しても場所を示す目標物はほとんどない。画面の中に入れる場所を示す物がない限りどこで撮ったかわからない写真になる。
紅く染まった雲がゆっくり東に移動しながら不気味に形を変え黒い色に浸食されていく。雲の流れ、色が変わる速度を考えれば撮影場所を変える時間的な余裕はない。その間同じ場所からシャッターを切り続けた。撮れたのは幸運、場所が悪かったのは不運だ。
by konno_noboru | 2012-07-03 01:03 | Comments(4)
台どこしながら、、風通しに開けた西の窓から見てました。。。こんなにきれいだったんですね、、。
この時期には珍しい夕焼けなんでしょうか。