2017年 08月 31日 ( 2 )

山に暮らせば

2017/08/30 【その2】 平位剛先生のことをブログに上げてすっきりしようと書いたが、アップするのに逡巡した。書いている間に先生が著された2冊の本を見たりしながらだったので時間が過ぎ、眠れなくなった。 いつも通りで良いと思い直し、超深夜、きょう撮った写真を見る。
 
 きょう、久しぶりに近くを1時間半かけて歩く。ポケットに入るコンデジ1つ。
 念入りに見るのは花よりも田圃。少し前になるが我が家の前、部屋から10mのところにクマが侵入し、稲を食べた跡があった。クマを目撃していないのだが、田圃に作ったクマ棚のように稲を倒しているのはイノシシとは違う。決定的な状況証拠は足跡がいくつもついていたこと。塾の仲間も来るのでまたクマが出たと言えば何となく不安に思うだろう。裏山に入っても「ここはクマは来ないでしょ」と聞く。
 今朝、気になったのは電柵や鉄柵できっちり防御されている内側にあるコンポスター(堆肥を作る容器)の蓋が飛んでいたこと。クマは近くにいるらしいのだが、姿は見ない。夜に侵入するのだろうか。
 どこの田圃も侵入された形跡はない。捕獲の檻にも入らない。近くにある栗の木の実が次第に大きくなった。稲刈りが終わるまでクマもイノシシも出没しないことを望むだけ。

 花もしっかり見ておかなければならない。シラヒゲソウは我が家近くで咲いている。ツルリンドウもある。キツリフネは咲き始めたばかり。背が高くなったトリカブトはまだ小さい蕾。風が柔らかく涼しくなったがきょうは暑かった。
 汗をかいたのでシャワーを浴びていると呼び鈴が鳴る。ちょっと待ってと大声を出しても鳴り続ける。大急ぎで玄関に出る。車は島根ナンバー。年齢は私より上、80歳を越えているかどうか。
 「浜田へ行こう思うたが、道に迷った。車があるので誰かおるじゃろう思うて寄った」
 「どこから来たん?」
 「益田」
 「益田なら9号線を走ればすぐのはず」。会話もこの辺りからかみ合わない。
 国道186号線が県境の波佐で7月豪雨のため道路が崩れて通行止めなのだ。迂回路の案内表示が確かに解りにくい。迷うだろうなと思う。何とか解ってもらえたようだ。汗が噴き出した。再びシャワー。



e0091879_02462278.jpg


クマは右の方から侵入した。ほぼ円形に稲が倒れる

e0091879_02474424.jpg



きれいに折りたたんで倒し、座って稲を食べる


e0091879_02483988.jpg
田圃に残ったクマの足痕。サイズから想像するとあまり大きくはなさそうだ




e0091879_02472701.jpg

         家から近いところにもあるシラヒゲソウ。花のサイズがまだ小さい。


e0091879_02464084.jpg




ツルリンドウ

e0091879_02470085.jpg

 サワギキョウ




by konno_noboru | 2017-08-31 02:55 | Comments(1)

山に暮らせば

2017/08/30  【その1】夏の終わりに悲しい出来事が2つ。20年近くお世話になった平位剛先生が亡くなられたこと。平位先生の死は認めたくないといった気持ちだった。
もう1つは日本山岳会広島支部の3人が北海道・幌尻岳で亡くなるという事故。
 日本山岳会広島支部が出来たのは1998年、初代支部長が平位剛先生。平位先生は1969年広島大学医学部山岳会のアフガニスタン・西部カラコルム学術調査隊長。調査隊の中に現在の支部長・八幡浩先生もおられた。幌尻岳事故のニュースの中で苦渋の会見をしていたのが八幡先生だった。

 もう1つはワハーン回廊(アフガニスタンの東北部、北にタジキスタン、東に中国、南にパキスタン、インドに囲まれた盲腸のような形をした地域)紀行と写真集(ブログ2015年3月15日を参照ください)と2冊の本を出された平位剛先生の訃報だった。
 
 先生に個人的にお会いしたのは山岳会広島支部の立ち上げの翌年、1999年夏。職場だった中国新聞写真部に訪ねてこられた。先生は1999年から2011年の夏、ワハーン回廊へ計8回単独行されたが、帰国後のフィルムや画像データ処理はすべて任せてもらった。
 2000年夏、ワハーン回廊に行かれる前だったので撮影機材点検だった。そのとき言った「撮影された写真は見せてください」と言った一言が後の15年を可愛がってもえた原点だった。

 2000年夏の帰国後、現像の上がったポジフィルムを見て驚いた。ワハーン回廊とはアフガニスタンの東北部、北にタジキスタン、東に中国、南にパキスタン、インドに囲まれた盲腸のような形をした地域で全域を歩いたのは日本人では平位先生以外には知らない。入域するにはパキスタン→アフガニスタンから入るのだが、それさえ難しいのだ。
 私もたまたまパキスタン→アフガニスタンを取材した経験があったので厳しい自然の中で暮らす人々の生き生きした姿を撮影することの難しさは知っていた。
 「良い写真です。写真展をやりましょう」と先生に話し当時、八丁堀にあったINAX(イナックス)のギャラリーに話を持ち込み、突然の飛び込みなのに信じられないほどの対応をしてもらい1ヶ月間写真展を開かせてもらった。
 そして2003年に「禁断のアフガニスタン・パミール紀行」、2015年に写真集「ワハーン回廊」を出版へ続いた。
 先生は2冊目の写真集の色校正が出版社から届いた2015年2月7日の前日に倒れられて、お気に入りだった少女グルちゃんの表紙の完成本を手にすることなく今月24日、亡くなられた。

 1冊の本に作るのに5年以上費やしたのですから完成したらバンザイしましょう、との約束は果たせなかったですが
 先生ありがとうございました。ご冥福を祈ります。

e0091879_02255349.jpg

ワーハンでの取材で必ず被っておられた白い帽子。旧海軍艦内帽でしょうか。写真を見るたびに手放されなかった理由をさまざま想像します。



by konno_noboru | 2017-08-31 02:31 | Comments(1)