山に暮らせば

2021/10/14  

 10日、NHKの日曜美術館で動物写真家・宮崎学の「アニマルアイズ」が再放送されるという1本のメールが入った。突然、庄原市山手町の平等寺へ行こうと思った。平等寺は山岳カメラマン・田代宏さん(廿日市市阿品台出身)の眠る寺である。衝動的に気持ちが動いたのは、気持ちの中にいる宮崎学さんの延長線上に田代宏さんがいると思っていたからだ。

 田代さんは宮崎学さんの弟子であった。山小屋で働きながら南アルプスの写真を撮り続けていた。その彼が32歳の若さで北岳・バットレスで落石に遭い亡くなった。宏さんには一度も合ったことはなかったが、彼の死後、ご両親とは親しくなっていた。

 高速道路を走りながら鎖状につながる中央分離帯の白い破線が途切れ途切れの思い出を繋げていく。

 宮崎学さんに初めて逢ったのは現役時代、「動物たちは今」という企画もの取材のためだった。長野県駒ヶ根市の自宅を訪ね野生動物の撮影方法を教えてもらうためだった。

 その日、学さんは落石事故に遭い32歳で亡くなった田代宏さんの遺作写真集「南アルプス」の出版準備をしていた。傍らに段ボール箱に入った膨大なポジとモノクロのフィルムが入った箱があった。選び出した候補作をライトスタンドの上に広げて「良い写真が多くある。この段ボールは宝箱だ。出版したら、田代は一躍山岳写真家のトップ集団に入るはずだった。広島出身のすごいカメラマンがいたことを地元の人たちに伝えてほしい」と宮崎さんは言った。

 前後を考えず宮崎さんの願いに「写真展と新聞連載は約束する」と言ってしまった。宏さんのご両親に相談もしないで突っ走った無謀さを悔いたが、若いカメラマンの最後はきっちり始末してやる、といった気持ちはあった。

 新聞連載は報道部記者の協力でできた。スケジュールの決まった天満屋は格別の計らいで写真展会場を提供してくれた。飾る写真は宏さんが亡くなったとき友人がそれぞれの思い出にとプリントした70点の写真を貸してくれた。写真展のテープカットには長野県駒ヶ根市から宮崎さんも来てくれた。大勢の人に助けてもらい田代宏遺作写真展「南アルプス」は多くの人に感銘を与えたと思った。長野での宿題はきれいに裁けた。当時、写真展に力を貸してくれた人たちで「南アルプスの会」もできた。メールをくれたのも、その仲間の1人だ。

 山寄せにある平等寺の墓地。探しても墓はなかった。宏さんの死後、両親も亡くなり、残ったのは宏さんの妻・明子さんと娘の梢ちゃんだった。時が流れて明子さんは再婚、梢ちゃんも結婚して仙台で看護師をしている。残念ながら田代家のお墓を守る人はいなくなり、今年春、お墓は撤去されていた。これで田代家の人たちとの最後のお別れがすんだ。お寺の玄関に母親の東光会会員・田代秀子さんが描いた「梅の花」が飾ってあった。絵の右隅に平成19年1月 寄贈 廿日市市 田代秀子 と記してあった。梅の花は私の揺れ動く心を静かに抑えてくれた。



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田代さんの遺作写真集「南アルプス」。編者は山岳写真家 水越武と宮崎学。2人とも土門拳賞の受賞者。宏さんは2人の偉大な師匠の間で育った。

段ボール箱のフィルムを見たとき2人の大きな壁の間で生前、自作を発表をためらったのか。ふと、最初で最後の遺作集の重さを思った。




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母親・秀子さんの作品。東光会の絵画展でいい絵を見せてもらっていた。額縁にガラスがあり、周辺が映り込んでしまう。






 

 20111010日、深入山で竜胆(リンドウ)の花を撮影中に異変に気づき、12日に加齢黄斑変性と診断された。効き目の右だったので写真は撮れず、車の運転もできなくなるかもしれないと不安を抱いた。10年が過ぎ、目の中心部分で色が見えにくいことが起きているだけで、全く不安はない。月1回芸北から五日市・楽々園駅近くのそえだ眼科に通う。

 動きの速いアサギマダラも余裕を持って望遠レンズで追うことができる。コロナ禍での自粛で活動範囲を狭めていたが、すこしずつエリアを広げたい。コスモスはお寺に行く途中で見かけた。





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アサギマダラ。芸北滞在は2週間を過ぎた。いつまでいるだろうか?






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秋桜。道路脇に咲いていた。





 


by konno_noboru | 2021-10-14 20:03 | Comments(3)

Commented by やまびこ at 2021-10-14 21:25 x
田代宏さんの写真展は素晴らしかったですね。
今でも忘れられないのが、雪稜に顔をのぞかせているライチョウの写真です。
あの写真には鮮烈な印象を受けました。
田代さんは北岳バットレスでお亡くなりになられていたんですね。心よりご冥福をお祈りいたします。
以前北岳に登ってテント場で設営していて、バットレスで滑落された登攀者が山小屋の診療室に担ぎ込まれていた記憶を思い出しました。
それから夜になって天候は急変、暴風でテントが飛ばされそうになってしまうほどになり、北岳小屋に逃げ込んだつらい記憶がありました。
北岳はあまり良い思い出がありません。日本第2峰3192mの風格はあるけれど人を容易に呼び入れない、厳しい山だったと今でも思っています。
Commented by 井上雅行 at 2021-10-15 12:59 x
こんにちは
講座でお話しされていたのはこういう事だったのですね。
Commented by D@yamaguchi at 2021-10-15 16:10 x
「泣きぼくろ」思い出しました。